天声人语(09-01)

     東京の下町、谷中(やなか)には広い墓地がある。昨年亡くなった日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーさんはその散策を好んだ。散策するうち、あることに気づく。〈大正十二年九月一日と昭和二十年三月十日に死んだ人々の墓がいかに多いか〉と、随筆集『谷中、花と墓地』(みすず書房)に書き残している▼前者が関東大震災、後者が東京大空襲なのは言うまでもない。片や天災、片や戦災の違いはあるが、どちらも東京を炎で包み、壊滅的な被害をもたらした。その天災から85年経(た)ち、きょうは「防災の日」である▼天災は忘れたころにやって来る、と戒めに言う。だが、このところの列島は、忘れる暇もないほどに、地震、竜巻、水害――と見舞われ通しの感がある。数日前も東海や関東が記録的な豪雨に襲われた▼「何十年も住んでいるが、こんなのは初めて」と、被災した人はしばしば口にする。きのうまでの無事も、きょうの安全を保証してはくれない。自然はときに、想像を超える無慈悲な牙を我々にむく▼世界でも、中国四川省の大地震、ミャンマーのサイクロンと大災害が相次いだ。そのせいもあってか、本紙の読者アンケートでは、いつになく防災意識が高まっている。「他人事(ひとごと)ではない」が、昨今のキーワードらしい▼関東大震災の後には、「この際だから」が流行語になったという。諸事を見直したり、改めたりする枕詞(まくらことば)のように語られたそうだ。夏が過ぎ、台風の季節はもって本番。この際だから、身近な防災策を見直して、万が一に備えるとする。       东京的下町(商业手工业者居住区),谷中(地名)有一块很大的墓地。去年去世的日本文学研究者爱德华·塞登斯蒂克喜欢在这里散步。在散步中,(他)注意到一件事情。在他的随笔集“谷中、花和墓地”(美铃书房)还留下了这样的句子,“大正十二年九月一日和昭和二十年三月十日死的人的墓怎么会这么多呢?”不用说,前者是关东大震灾,后者是东京大空袭。虽然不同的是一个是天灾、一个是战灾的,但两者都使东京笼罩火焰之中,带来了毁灭性的灾害。天灾已经过去85年了,今天正是“防灾日”。”这个时候天灾都被忘记了“这样的警示语也在流传着。但是,最近的列岛,地震、龙卷风、水灾频仍,感觉上似乎又不给人们忘却的机会。几天前,东海和关东还遭受了创纪录的暴雨的袭击。“虽然(在这)住了几十年了,这样的情况还是第一次”,一再听到受灾者这样说。到昨天为止都平安无事,并不能保证今天就安全。有时候大自然也会冲我们呲着那超乎想象的不慈悲的牙。放眼世界,中国四川的大地震、×××的飓风也是接踵而至。或许是基于这个原因,从对本报读者的调查的结果看,(人们)防灾意识空前的高。"并不只是别人的事“,似乎是最近的关键词。关东大震灾后,”就是现在“成了流行语。诸事重新审视、重新改过的枕词(枕词是日本古典诗歌的修辞手法之一,起着独特的作用)也有。夏天一过,台风的季节就正式登台了。就是现在,再审视一下身边的防灾策略,以防万一。

转载于:https://blog.51cto.com/zephr/96814


本文来自互联网用户投稿,文章观点仅代表作者本人,不代表本站立场,不承担相关法律责任。如若转载,请注明出处。 如若内容造成侵权/违法违规/事实不符,请点击【内容举报】进行投诉反馈!

相关文章

立即
投稿

微信公众账号

微信扫一扫加关注

返回
顶部