中国人はなぜ会社を辞めるのか (2008年7月7日公開)

20代の平均勤続年数はわずか1年半

 「中国人のマネジャーを採用したが、仕事を覚えたと思ったら辞めてしまった」「せっかく教育しても、どうせ1~2年で辞めてしまうので意味がない。もう中国人は採用したくない」。上海で仕事をしていると、こうした日本人赴任者の嘆き節は枚挙に暇がない。

  それは現象面としてはまったくその通りで、中国人の転職、転社、転業、独立志向の強さは、中国での企業経営にとって頭の痛い問題である。これは日系企業や 日本人経営者・管理者に限った話ではなく、在中の外資系企業、さらには香港や台湾系、中国国内の企業経営者にとっても同様の問題だ。

  上海市労働社会保障局が発表したデータによると、上海市内の就労者の平均勤続年数は全体の平均で約3年10ヵ月。30歳以下に限ればわずか1年5ヵ月ほど しかない。新卒社員の「3年目の離職」は日本でも話題になっているけれど、上海では31~40歳の中堅層でも平均約2年3ヵ月で辞める。これではどうやっ て組織を運営していくのか、誰でも頭を抱えてしまうだろう。

 では、なぜ中国人はそんなに簡単に会社を辞めてしまうのか。

  もちろんそこには個人差もあるし、社内事情や社会環境など、さまざまな要因が絡み合っている。しかし、多くの企業で中国人社員の行動パターンを見ている と、そこには一種の共通した観念というか、行動原理というか、中国人を突き動かしている原則のようなものがあると思うようになった。ここではその話をして みたい。

中国人が会社を辞める3つの理由

 中国人社員が会社を辞める理由には大きく分けて3つの要素がある。

  • 1. 嫌だから辞める(現状に対する不満)
  • 2. ステップアップのために辞める(将来へのキャリア構築)
  • 3. リスクヘッジのために辞める

 「1」や「2」は日本人にも理解しやすいだろう。給料が安い、仕事がつまらない。誰だって会社や上司、仕事に対する不満はあるし、現状を変えたいと思うことはある。そのためには会社を辞めるしかないこともあるだろう。
 また「MBAを取るため会社を辞めて米国に行く」とか「この会社で学ぶことはもうない。次のキャリアに挑戦したい」という理由で辞める人は日本にもいる。こうした動機はわからなくはない。

  問題は「3」の「リスクヘッジのために辞める」である。日本人にはちょっとわかりにくい発想だが、こういう人が中国には現実にいる。特に周囲から優秀だと 目されている人によく見うけられる。特に大きな問題がなくても「もう、この会社に3年もいるから、そろそろ辞めないと…」などと言ったりする。これはどう いうことなのか。

 もちろん現実に会社を辞める時は、上記の1~3の理由が程度の差はあれ混在しており、どれかひとつというこ とはない。しかしこの「リスクヘッジのために辞める」という考え方はかなり広く共有されていて、その土台の上に現状への不満やキャリアアップの意識が加わ り、最終的に離職という行動になって表れるという感じである。

 リスクヘッジのために会社を辞めるということは「現在の仕事を 続けるのはリスクだ」と認識していることになる。ひとつの仕事や会社に一定期間コミットしていると、中国人はだんだん不安になってくる。「人生のリスクが どんどん増大しているのではないか」「泥沼に入り込むのではないか」「このままではいけない」――。焦燥感にとらわれ始め、仕事が手に着かなくなり、 ちょっとした不満や他からの誘いをきっかけに会社を辞めてしまう。

 「ひとつの仕事を長く続けること」「同じ組織に長くいるこ と」がリスクだという考え方は、日本社会では一般的ではない。むしろひとつの道を極めること、同じ組織で長く(一生とは言わないまでも)働くことで初めて 高い価値を生む仕事ができるようになるとの考え方が主流である。その背景には日本人、特に日本の競争力の中核を担う製造業がそうした考え方を基本に過去の 国際競争に勝ってきた歴史がある。

「安定」に対する認識の違い

 日本人と中国人のこうした対照的な行動パターンの違いの根底には何があるのだろうか。

 それは「安定」に対する認識の違いである。

  日本人が考える「安定」とは「1対1」の対応だ。たとえば終身雇用がそうである。向き合った両者が互いに「1対1」の関係になった時、日本人は「安定し た」と感じ、安心する。終身雇用とは有体に言えば「お前、辞めるなよ。クビにはしないからな」「はい、わかりました」という関係である。雇用する側は「他 の人間を雇う」という選択肢を排除し、働く側も「他の会社で働く」という選択肢を排除する。そうしてお互いが「1対1」の関係になる。それでもって「安 定」するのである。

 株式の持ち合いも同じだ。「お前、売るなよ。オレも売らないから」「よし、わかった」。そこでは互いが「他者に売る」という選択肢を排除して「1対1」で握り合う。そして両者は「安定」を感じ、安心するのである。

  中国人は違う。「お前、辞めるなよ。クビにはしないから」などと言われたところで、どうしてなど安心できようか。社長が代わってしまったら、どうなるかわ かったものではない。約束とはいっても、仮に会社から「すまん、事情が変わった。辞めてくれないか」と言われたら、打撃が大きいのは明らかに個人のほうで ある。なにしろ他の選択肢を排除してしまっているから手も足も出ない。一家が路頭に迷う可能性すらある。これ以上恐ろしいリスクが他にあろうか?

 株式の持ち合いも同じだ。「すまん、背に腹は換えられない。売らせてくれ」と言われたらどうするか。それなりの比率で株を持たれているから、いざ売られた時の打撃は大きい。株価は一気に下がるだろう。そんなリスクは誰が取るのか?

  つまり中国人的人生観からすると、日本型の「1対1」の対応関係は、まるで「安定」ではない。それどころが「他の選択肢を排除してしまう」ことは、それこ そリスクの塊であって、不安定そのもの、絶対に取ってはならない下策である。収入源がひとつしかなければ、相手の言いなりにならねばならない。常に他のオ プションを残しておかなければ自分や家族の人生は守れない。そう考えるのが普通の中国人である。

 そして、それを実際の行動で 表す。中国社会で夫婦共稼ぎが普通なのは、社会主義だからでも女性が強いからでもない。それが一家にとっての大きなリスクヘッジになるからである。また中 国のサラリーマンは、会社に言うかどうかは別として、副業(中国語では「第二職業」)を持っている例が少なくない。

 本業の会 社勤めとは別に、友人や親戚と何らかの会社を作っていたり、OLが土日はショップの販売員をやる、労働者なら夕方5時に帰宅してから自宅の近所で露店を出 す、多少の資産があるならマンションや店舗を買って賃貸に回す、卸売市場から仕入れてきた商品をネットショップで売る…。そんな例はいくらでもある。これ らはすべて収入源をひとつの会社に依存しないための方策である。「たとえクビになっても収入の半分は残る」と思えば、嫌な上司とケンカもしやすくなるでは ないか。

 実際、私のある友人は英語と日本語に堪能で、非常に誠実かつ優秀な人間であるが、彼は「もし自分がこの会社に頼らな ければ生きられない状態だったら、仮に会社や上司が誤った判断をしても、それを口に出せないかもしれない。でも僕はクビになっても怖くないから、会社のた めになると信じたことは何でも率直に言う。これって結局は会社のためになることでしょ?」。こう真顔で言うのである。

タイタニック号か太平洋横断のヨットか

  別のたとえでいえば、日本人の生き方はタイタニック号のような豪華客船の乗客であり、中国人的生き方は太平洋単独横断のヨットである。大型客船は乗り心地 がよいし、設備も高級で、揺れも少ない。通常は何の心配もすることなく誰でも目的地に着くことができる。しかし、逆にそうであるだけに、万一沈没となれば 大変だ。誰も泳ぎ方の訓練を受けていないし、ライフジャケットの付け方すら知らない。救命ボートの数も足りないから、たくさんの犠牲者が出る。

  一方、太平洋単独横断のヨットは最初から波に翻弄されることを前提に出来ている。嵐は必ず来るものである。だから船が天地さかさまになっても絶対に沈まな いよう設計されている。乗り心地は決してよくないが、仮に海に投げ出されたとしても救命胴衣は最初から付けているし、泳ぎ方の訓練も十分だから、助かる可 能性は高くなる。

 終身雇用や株式の持ち合いの発想は、中国人から見ればタイタニック号そのものである。だから最初からそうい うリスクを避ける。終身雇用で「安定」を図るより「収入源をひとつにしないこと」に執着する。誰かと株を持ち合って「安定」するより、最初からマーケット に身を投げ出してしまう。そうすれば誰かが株を手放したところで株価が多少下がるだけで致命傷にはならない。誰かに株を売られてしまう可能性を心配するよ り、新たな買い手を増やすことを考えた方がリスクは少ないと考えるのが中国人である。

「他者に自分の命運を握られない」ために

  つまり、総じて言えば「他者に自分の命運を握られない」よう最大の努力を傾けるのが中国人的生き方の真髄である。他者に自分の人生を左右される状態になっ てはいけない。人生のハンドルは常に自分が握る。そうでなければ安心できない。中国人はそう考え、そのためにはどうすればいいかを考える。

  ある会社に長く在籍すればするほど、その企業でしか通用しないスキルが自分の中に蓄積し、市場との距離が遠くなる。そのぶん会社に自分の人生を左右される 度合いが高くなる。同様に、ひとつの業界や職種で長く仕事をして、その領域に特化する度合いが高くなればなるほど(日本ではそれを「専門性が高くなる」と いう)、それは「1対1」の世界に近くなり、自分の選択肢の幅を狭める。その業界の景気が悪くなったらどうするのか、その技術が世の中で淘汰されたらどう するのか。

 だから中国人はひとつの会社や職業に長く滞留することを本能的に避ける。周囲の環境に何か異変があっても自分や家 族の人生に影響が及ばないよう最初から予防線を張っておく。何事も極限までは踏み込まず、事あればいつでも退避しできるようにしておく。そういう行動原理 が広く浸透している。

組織や個人への競争力蓄積が進まない

 そう考えれば「中国人社員を採用してもすぐに辞め てしまう」という日本人管理者の悩みは、至極当然の結果だとわかる。中国人社員の感覚では「いつでも辞められる状態にしておく」ことこそが「安定」なのだ からである。これは「一意専心」「一所懸命」で専門性を高めることに精力を注ぎ込むという日本社会で支配的な考え方とは、まさに対極にある。

  そしてこれまた当然ながら、こうした「中国人的世渡りの原則」は個人の生き方としてはそれなりに有効性を持つとしても、国家や会社といった単位で考える と、極めて効率が悪い。極論すれば、13億人全員が自分の生きたいように生きるわけだから、それはまさに部分最適の集合体にならざるを得ず、組織や集団に とっての全体最適とはおよそかけ離れたものとなる。

 さらに重大なのは、誰もがこうした行動パターンを取ることで、組織内部や 個人への知識や経験、スキルといった競争力の蓄積が進みにくいことである。プロとして市場価値のあるビジネススキルや専門技能は2年や3年の経験ではとて も身につかない。社会に出てしばらくの間に何度かの針路変更があるのは止むを得ないにしても、ある時期以降は特定の領域に集中し、その分野で競争力を積み 上げていくことが個人や企業の成長のためには欠かせない道筋である。

 しかし現状の中国社会では、31~40歳の平均勤続年数 2年3ヵ月という前述の数字が示すように、高度の専門能力を持つ人材を輩出する環境が存在していないと言わざるを得ない。これは社会的にはまことに由々し きことで、今後の中国企業の競争力を根底から左右する問題だと私は考えている。

 中国進出日系企業にとってもこうした現状は当 然ながら大きな障害である。だが中国が市場としても人材の供給源としても無視できない以上、ぼやいていても始まらない。どうにかしなければならない。現実 には半ば諦めてしまっている企業が少なくないのは事実だが、中にはさまざまな手段を講じて、長期雇用の実現に一定の成果を出している企業もある。

  例えば江蘇省に進出したある日系メーカーでは、新卒社員の離職率が2年間で8割にも達するという状況に悩んでいた。しかし離職者が集中するのは入社3年目 までで、それ以降は比較的安定することもわかった。そこで同社は「入社3年目までは何がなんでも辞めさせない」という方針を立て、その間は1ヵ月ごとに小 刻みな評価を行い、全員を例外なく定期的に昇給・昇格させるという手段を取った。その結果、新卒社員に対して常に「会社から評価されている」「自分の実力 が伸びている」という実感を持たせることができ、離職率は劇的に低下。逆に3年目の残留率が8割に達するという成果を得ることができた。

  これによって若手の人材層が厚くなったため、3年目以降は残った人材の中から会社が主導権を取って幹部候補を選抜することができるようになった。現在では そうした選抜を経た社員が現在では中堅幹部として多数活躍し、将来の経営幹部の候補として期待できるまでになってきている。「新入社員は下積みが当然」と 考えるのではなく、まず自社での成長実感を持たせ、馴染ませてしまう。こうした手法はひとつの可能性を示しているといえるだろう。

  「自分の命運を他者に握られない」「人生のハンドルを自分で握る」という生き方は、個人としては確かに魅力的だ。しかし企業経営という観点から見ると、こ れはなかなかに手強い相手である。特に長期間の雇用によって組織内部への競争力の蓄積を続け、厳しい競争に勝ち抜いてきた日本の製造業にとっては、この課 題をクリアしない限り中国で世界に通用する企業を作り上げることは難しい。困難な時間のかかる作業ではあるが、いま中国では多くの日系企業が「中国に合っ た日本的経営」の確立に向けて地道な取り組みを続けている。その努力に敬意を表するとともに、これまでの経験を活かして、できる限りのお手伝いをしたいと 考えている。

(2008年7月7日公開)


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